ワーホリでローカルジョブというのは業種を問わずワーホリメーカーが目指したいゴールの一つではないでしょうか。幸いにも僕はカジュアルポジションでのキッチンハンド(皿洗い、調理補助)の仕事をゲットしました。実は先日ブログのコメントでリクエストがあり、料理未経験の状態からローカルの職場でヘッドシェフに登り詰めた自慢話をしてみたいと思います。
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ギリシャレストランでのキッチンハンド時代
実は最初のローカルジョブはフレンチレストランでのキッチンハンドですが、更なるシフトを求めて再度仕事探しをしていました。そこで見つけたのがパース市内にあるギリシャレストランです。幸運にもトライアルをパスし、そこではまずキッチンハンドとして働き始ヤキめました。
主な業務は洗い物、野菜を切ったりする調理補助、そしてランチタイムはケバブ作りです。トライアル通過時に当時のヘッドシェフから俺氏の働きぶりをみてシフトを決める、と言われていたので、それはもう本気でやりました。そこで実力と人柄を気に入ってもらい、ソッコーで週に40時間程のシフトを貰えるようになりました。
ローカル環境で、キッチンハンドとして評価され、キッチン仲間でワイワイしてる時間はとても楽しい時間でしたが、いつの間にか僕の中に物足りなさが生じ始めました。
シェフ昇格!条件は正社員になること。
キッチンの中にいると、キッチンハンドの上級職であるシェフはかなりかっこよく見えます。となると、次に目指すはシェフという話になってきます。でも、普通にキッチンハンドやりながら料理を学ぶのはキツいです…。となると、やることは一つで、休み時間や休日に料理を教えてもらいました。もちろんその間給料は貰いません。
最初は賄いを作らせてもらったり、簡単なソースやディップを作らせてもらったり、サラダやフライパンを使った料理も教えてもらえるようになりました。シェフやマネージャーからも気に入ってもらえていたので、僕が昇格するのはかなりあっという間でした。通常キッチンハンドからシェフになるには2、3年かかるらしいのですが、僕の場合は2、3ヶ月でシェフのポジションをゲットしました。
そして正式にシェフになるにあたり、マネージャーから提示された条件は、なんと年俸制の正社員(フルタイム雇用)になることでした。
Service, service, service please!!
正社員のシェフになってからはいきなりシフトが激増しましたが年俸制なので何なら給料下がりましたがそれでも年間48,000ドルという条件だったのでまぁ悪くありません。僕のポジションはLauderという、サラダやソース、デザートを作るセクションです。当時夏になる寸前で、もう忙しさは完全なるピーク。それでも決してGoing downせず、僕らは地獄のクリスマスシーズンを乗り越えました。
週の労働時間は80時間にも及んでいましたけど、そのおかげで僕は完全にシェフとして開花しました。金を稼ぐというよりもお金貰いながら料理と英語を学んでいる感覚だったので苦痛ではありませんでした。そう、仕事自体は。
ギリシャレストランと決別、ヘッドシェフとスーシェフ、お前なんて大嫌いだ
とんとんびょうしのシェフライフですが、実はこのピークシーズンでヘッドシェフとスーシェフ(いわゆる副料理長)が入れ替わりました。こいつら本当にとんでもないやつらで、こいつらのせいで辞めていくメンバー続出で、俺が好きだった職場の雰囲気は最悪に近いものになりました。
俺も不満が溜まりに溜まってもう我慢の限界。そもそもワーホリという限られた時間で我慢する必要ある?無いよね?人足りないから休日出勤してって言い出した瞬間に辞めてやりました。それでも、シェフとしてやっていける自信があったので次の仕事の心配は全くしていませんでしたけど。
素敵なオージーカフェでオージーガールときゃっきゃうふふ
案の定次の仕事はソッコー見つかりました。しばらく休暇を楽しんで仕事探しを始めたら、探し始めたその日に仕事をゲットしました。場所はカフェが立ち並ぶ素敵な街、Leederville(リーダービル)。キッチンにいるのはオージーやニュージーの女の子達、フロントもオージーやヨーロピアンやアジアンのおしゃれな人達。The ローカルジョブここに極まれりって感じです。
ギリシャレストランで鍛え上げられた俺氏にとって楽勝だろ、って思ってましたけど、残念。こっちの方がはるかに忙しくハードだったという…。
キッチンには4人しかスタッフがおらず、食事を作ったり、キャビネットに置いておくケーキを焼いたり軽食を作る部門を1日あたり2人で回さないといけません。しかもレストランは仕込みの時間とサービスの時間が別々ですが、カフェは大量の仕込みしながらサービスをするという無理ゲー。それでも、ええ、俺氏はやりとげました。
辞めていく&クビになるスタッフ。繰り上げる俺氏。そして伝説へ。
ここのオーナーは非常に気分屋で、気に入らないスタッフはガンガン辞めさせます。やばいっすよね。ヘッドシェフの女の子もオーナーと喧嘩してキッチンで泣いてたりしてクビになりました。その他の子達も結婚したり他の仕事見つけたりで辞めていきました。そこでオーナーからの指令です。
「あなたをヘッドシェフに任命するね!」
…なん…だと…?
残ったシェフ歴10年の女の子や、新しく入ってきたシェフ達を差し置いて、シェフ歴半年の俺氏がヘッドシェフ。しかもキッチンスタッフは全員ネイティヴ。仕込みやサービス以外にも、教育や材料の発注もしなくちゃいけない。新メニューのアドバイスもしなくちゃいけない。
しかし、やり遂げました。カフェオープン史上最も忙しかった日も華麗に乗り越えましたし、仕込みが間に合わないとか材料が切れるというようなありがちなトラブルも一切ありませんでした。俺氏なら大丈夫って思ってくれてたようです。もう俺氏が完全にオーナーのお気に入りだったのは言う間でもありません。
やがて訪れる別れの時…
料理人としての才能を開花させ、俺氏はヘッドシェフとしてのキッチンライフを謳歌していましたが、俺氏のビザはワーホリビザ。スポンサーの話も出てましたが、日本に帰ることはすでに決めていたことなのでタイムリミットは訪れました。
キッチンのスタッフも、オーナーも非常に別れを惜しんでくれて、ケーキをくれたりプレゼントをくれたり本当に惜しまれて去っていきました。俺氏は、伝説になりました。
まとめ
ちょっと盛り過ぎました反省してます←
通常、シェフになるには長い年月が必要ですけど、自分の場合は運も良かったし何より努力したし、料理が好きだしちょっとだけ才能もありました←
正直かなり上手くいった方だと思います。料理スキルも英語力も飛躍的に向上しました。いずれ日本で西洋料理の店を出したいなってのがひそかな野望です。
リクエスト聞いて頂いてありがとうございます!
実は自分もゴールドコーストで、皿洗いから今はスーシェフくらいになってます〜♪そんで、ビジネスビザ真っ最中です。
ただ、やばいっすけどね〜その入れ替わりの激しさでオージーレストランだったはずが今や中東レストランになってますw(キッチン内)
経緯が聞けてよかったです。これからも頑張ってください〜!