二年間の海外生活を経て僕の中で変化したこと。




先日友達とコーヒーを飲みながら話してた時に出てきた話題ですが、「海外生活を経て一体何が変わったのか」と聞かれました。

僕としては一言で言うなら「より自分らしくなった」って感じなのですが、確かに具体的にどういう変化があったのかを振り返ることは大事だと思い書いてみようと思いました。それではいってみましょう。

どこでも生きていける自信がついた

海外に飛び立つ時には完全に身一つで行きました。親からの援助がある訳でもなく、向こうに知り合いがいる訳でもなく、生活をサポートしてくれる業者にお金を払った訳でもありません。フィリピンの学校には行ったけど。

全く英語なんて喋れないし海外で仕事で役立つスキルなんて一切無い状態で僕は何百万円も稼いだし英語力もバッチリ身に付いたし、ローカルレストランで料理長まで登り詰めましたしオーストラリア人の婚約者も出来ました。

二年間、僕は異国の地で裸一貫で生き延びました。この経験は、僕は自分の思ったように生きることが出来るという自信を与えてくれました。だって、俺は二年間海外で生き延びることが出来たのだから。じゃあ、祖国のしかも地元というフィールドなら俺はもう成功するに決まってるだろ、って思ってますw

素の自分になれた、自分の意見を主張できるようになった

海外では「謙譲は美徳!」なんてことはありえません。自分がやりたいことは意思表明しないと誰も助けてくれないし、外国人はガンガン自己主張してくるので黙ってたら完全に色々奪われていくだけの立場になります。

我はここにありというのを主張していかないと自分の居場所なんてソッコーで無くなります。こう言ったらどう思われるかな、嫌われるかななんて思ってたら損していくばかりってことに気付いてから積極的に自分の考えを主張するスタイルに切り替えていきました。

そして実際に素の自分になってからは人間関係はかなり楽になりました。なんで昔はあんなに肩肘張ってたんだろって感じです。今の方がいい感じに色んな付き合いが出来ているように感じます。また、自分のことがあんまり好きじゃない人とは結局何やっても上手くいかないのでそれはそれで適度な距離感でいいんじゃないのかって思ってます。仕事とかは仕方ないけどね。

度胸や行動力がついた

海外でどうやって仕事見つけるか知ってますか?ワードに自分で履歴書作ってそれ印刷して飛び込み訪問してばら撒くんです。異国の地で言葉も文化も違くて、しかもその業界の経験とか一切無いのに自分を売り込んでいって仕事にありつかないといけない。じゃないと野たれ死ぬ。

時には皿洗うのが遅くて2日でクビになったこともあった。けどそれでも負けるもんかと必死に自分を売り込んで頑張って、そして最後には料理長です。俺がオーストラリア人を面接する側だぜ!

そんな経験をしていたので、今飛び込み営業したり新規開拓することなんて屁でもありません。だってここ日本だぜ?言葉も通じるし今までの経験も活かせるし商品もあるし永住権もあれば助けてくれる人達がいる。オーストラリアでは本当にゼロからだった。むしろワーキングホリデーっていうすっげぇ弱いビザだったからマイナスですよ。それに比べればもう何も怖くない。

行動力と言えば、世界中飛び回ったりヨーロッパを夜行バスや夜行列車で巡って色んな国の人達とバックパッカーで寝泊まりしてたら、日本でやるようなことはものすごく負荷が少ないように感じられます。例えば、昔はAというアクションを起こすのに100のエネルギーが必要でしたが今は2くらいで出来るような感じです。

物事の本質が何となく分かるような気がしてきた

これは何でそうなったのか上手いこと言葉で説明出来ないんですけど、何となく物事の本質というか、目的やゴールっていうのが直感的に理解できるようになってきたように感じます。なんでこれをするのか、何が必要なのか、何が目的なのか、そういった物事の本質が言葉では表現できない領域でとらえられるようになってきつつあります。

それが出来るようになって起きた変化は、自分が今何をすべきか分かるようになった、物事の問題の原因は何かを理解できるようになった、物事が何でそうなるのか直感的に理解できるようになった、行動が効率的になった等です。多分非日常を継続的に経験することで脳が刺激されてちょっといい感じになったんじゃないかなって思います(頭悪そう!

でもこれらについてはまだまだ改善の余地や伸び代があるので意識的に磨いていきたいと思います。よく分かりませんが、色んな経験をしたり色んな出会いを経てそこから色々考えることで世界の真理に近づいていけるんじゃないかって思います。

何事も言語化するようになった

日本人が大好きな「空気を読む」「察する」って行為ですが、これは無駄の極みじゃないのか、いやむしろこれこそが人間関係をおかしくする原因なのではないかって思うようになり、ちゃんと思ってること感じてることは言葉にするようにしましたし、相手の感情や意見はちゃんと言語化してもらうようになりました。

例えば僕のお母さんはミートソースパスタが好きなのですが、今夜の晩ご飯はミートソースにしようと思って僕が作っても、もしかしたら今日は真鯛と旬の野菜のテリーヌ〜地中海の幸とオリーブの恵みを添えて〜が食べたいかもしれないし、既に昼にミートソースを食べてしまって晩ご飯は焼き肉がいいと思ってるかもしれない。

にも関わらず僕がお母さんがミートソース好きだからって言って勝手にミートソース作ってしまって、お母さん本当は真鯛と旬の野菜のテリーヌ〜地中海の幸とオリーブの恵みを添えて〜が食べたいのって言われたことに対し、せっかく作ったのに!って怒ったいたのでは、当初のお母さんの好物を作って喜ぶ顔が見たいという善意が一方的に押し付けられてしまうことで賞味期限切れの豚肉以下の汚物に成り下がってしまいます。

だから、本当のところ相手が何を考えてるのか分からないのでちゃんと相手の意見を聞くことを大事にするようになったし、逆に自分が思ってることははっきり伝えるようになりました。これは外国人が言語によるコミュニケーションを非常に大事にすることに影響を受けました。そして察する力が昔から非常に弱いので、そこを磨くよりも分からんのなら聞こうってスタイルに変えることにしました。何故なら他人の気持ちを完全に推し量ることが出来る人はこの世に存在しないからです。ちゃんと言語化することでトラブルはかなり回避できるってことに外国人のコミュニケーション術から学びました。

自分への理解が深まった

これもまた難しいのですが、今自分が何を考えているかが分かるようになってきました。自分は何に喜んでいるのか、不安に思っているのか、憤っているのか、自分の身体に何が起こっているのか、っていうのが客観的に分かるような気がします。多分これも脳が活性化されたからだと思います。非日常大事。

外見に必要以上に気を遣わなくなった

これはオッサン化したということでしょうか。なんかこう昔はどこへ行くにしても服装も髪型もバッチリ決めていかないと気が済まなかったのですが今は別にそうでもなくなりました。男の最高のおしゃれは筋肉という持論のせいか、筋肉さえあればそんなにキめなくてもかっこいいんだぜって価値観になりました。

また、人として何が大事かを決める材料として「外見」という項目の割合が減ってきたんじゃないかと思います。その分「筋肉」という項目が増えました←

でもおしゃれは好きですし、見た目にもちゃんと気を遣っている方だとは思います。だからこれもある意味自然体でいいんじゃないのかなって思ってるんだと思います。その結果、内側も外側も色んな無駄が無くなっていったような気がします。無駄の無い状態が自然体ってことでしょうか。外国人って自然体な人多いですよね。

まとめ

めっちゃ長くなりましたが、まとめると二年間海外で生活した結果、自分に自信が付き自然体になることが出来ました。その結果自分に正直に生きています。

でもこれはただ海外行けばそうなるって訳ではなく、自分を追い込んで色んな苦労や経験をしたからこそだと思ってるので、もし自分が親の金で海外行ったりただ遊んでるだけの旅行の延長みたいな感じの海外生活送っただけではあんまりこういう変化は無かったのかもなって思います。

なっが。てか、なっが、これ。




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