仕事することとは脱糞することと見つけたり。




いきなり突拍子もないタイトルですね。

仕事とは何か、食事とは何か等、こういう類いの問いかけってシンプルですごく深いのでこのテーマだけで何時間も考えられたりするのは自分だけでしょうか。精神病か何かでしょうか。

先日チャーター便で北関東まで走ってた時に、例えば社員に「仕事って何ですか?」って聞かれたら何て答えようかなって考えてました。難しいですね。

そんなこと考えてたらだんだん便意を催してきました。頭の中は次のパーキングはどこやって焦燥感でいっぱいになってきました。

車を停めるやいなや一目散にbathroomに行き事を済ませる俺氏。この瞬間に、来たんですね、先程の問いの答が。

そう、仕事をする事は、脱糞する事に似ている、と。

 

なぜか。

 

なぜ、そうなるのか。理由は、こうだ。

 

最近常々実感する事があります。仕事は一人で出来るものではない、と。いや、語弊がありますね。一人でも出来ん事は無いけど膨大な時間や手間がかかったり効率ががた落ちします。

会社には経営者がいて営業がいて経理、総務、法務、現場担当者など色んなポジションがある訳ですね。昔僕は商社にいて、人事の人が「商社の営業だと全ての仕事に関わる事が出来て総合的に仕事を学ぶ事が出来る」など言ってましたが、実際経営者になってみると商社の営業も、「営業」という分野のいちスペシャリストにすぎないということを実感しました。

経営者が会社を立ち上げて仕組みを作り、営業が仕事を取ってきて、経理がお金関係を扱い、総務が採用や役所関係を担当し、法務が違法性が無いかとかその辺管理したりして、そして最終的に利益を生んで会社が成り立ってるんですね。

これって脱糞のプロセスと一緒ですよね。食べ物を用意して、歯で咀嚼して唾液や胆汁等で栄養を分解して胃で消化して小腸で栄養を吸収して大腸でそれらがうんこになりそして肛門から一気にフィニィィィイイイイイイイイシュぶりぶりぶりぶりぶりぶりぷしゅっぷすぷすぅ、ぴしゅうって最終的に脱糞する流れって、仕事と一緒ですよね?

どの編が一緒かというと、利益のもとになるもの(仕事と食べ物)、専門家の集まり(各部署や内臓)、それを一連の流れで進めていくそのプロセス、そしてうまく進まなかった時に仕事が滞ったり、消化不良を起こして嘔吐や下痢等の体調不良を起こす事、そして取ってきた仕事や食べたものがよかったかどうかを成果物で判断できる事(純利益額や大便の状態)、なんだかすごく似てますよね。

アレルギー起こしたり下痢とかすると、「あれ?俺体調おかしいのかな?変なもん食ったか?」ってなるでしょ?それと同じでうまい事仕事が回ってなかったり利益が残らないと、どこかで何かがおかしい事になってるものです。

なので、正常に脱糞するプロセスは、いい仕事を取ってきて、それを専門家達が処理していき利益を残していくプロセスと全く一緒なんですね。

という訳で、これから宮木商事で新人教育をする際にはまず脱糞させてよく便を観察させて仕事とは何かを考えてもらうようにします←何かが違う




コメントを残す